「史明くん、起きて」
ぬくぬくとした布団の中で、寝てた僕の肩の辺りを揺すられる。
「……ん……静乃さん?」
掠れた声で名前を呼んで、布団に包まったまま肩越しに静乃さんを見上げた。
「史明くん。いい加減起きないと朝ご飯抜きよ」
「え?あ……ごめんなさい。起きます!起きますから!!」
朝ごはん抜き!?そ…それは一大事!
僕は慌てて布団から跳ね起きた。
つもりだったんだけど実際はそんなスピード感はなく、上半身を起こして起き上がっただけ……情けない。
どうも寝起きで身体がついていってないらしい。
「じゃあちゃんと、顔洗って来てね」
「はい……」
「二度寝はダメだからね」
「はい……わかってます」
静乃さんは用は済んだとばかりにサッサとベッドの前からいなくなる。
ちょっと寂しい。
わかってますなんて返事をしたけれど僕はまだ半分夢の中で、ベッドの上でいわゆる
あひる座りをしながら目は瞑ったまま、うつらうつらしていた。
あれから時々こうやって一緒に朝を迎えることが増えた。
疲れてる身体にいつもよりワザと早いピッチでお酒を飲んで酔い潰れ、泊まらせてもらうという
姑息な手を何度か使ってる僕。
ひとつのベッドに寝ながら、男女の営みはない。
僕がグッと堪えてるというのもあるけれど、静乃さんがまったくそういう雰囲気を出さないから。
やっぱりあのとき一度だけのつもりだったんですね……なんて落ち込んだりもしたけれど、
今は泊りを許してくれてひとつのベッドで寝てくれることに感謝しなければいけない。
ここでもしつこくして呆れられて嫌われないように、泊まるのは数回に1度と決めている。
本当なら毎晩でも泊まっていきたい。
あ!それって同棲?なんてひとりでちょっぴり浮かれて喜んでる。
現実はそんなことからほど遠い場所にいるのに……。
「おはようございます。静乃さん」
顔を洗って洋服を着替えて、スッキリ笑顔で挨拶をした。
「おはよう。二度寝しなかったんだ?エライね」
「二度寝すると、逆に起きた時に辛いですから」
「もっとゆっくり寝かせてあげたいんだけど、休みだからってダラダラするのキライだから。ゴメンね」
静乃さんは休みの日でもいつもと同じ時間に起きるそうだ。
そしてゆっくりと、いつもと同じ時間を過ごすのが楽しみらしい。
そんな楽しみの時間をもっと充実したものにするめに、窓から見える景色も必要なモノなんだそうだ。
窓から見えるのは青々と茂った木々だ。
確かに癒されるかもしれない。
僕は静乃さんがいてくれればそれでOKだけど。
「いえ。ここは静乃さんの家ですから、家主さんに合わせます。それにお昼前に、会社にいかないといけないし」
「史明くんこそ休日なのに仕事なんて大変だね。ちゃんと休まないとダメだよ。
史明くん限界来ると、再起不能になるんだから」
もう僕のことを理解してくれてるんですね……嬉しいです。
「はは……気をつけます。でもそうならないためにこうやって、時々静乃さんに癒してもらってますから」
「こんな気の強い女のところで癒されるの?」
「静乃さんは気が強くなんてないですよ。しっかりしてるだけです。それに懐が広くて優しい」
「誉め過ぎだって。いくら褒めてもコーヒーくらいしか出ないよ」
「うれしいです。いただきます」
「じゃあ冷めないうちに食べて」
「はい。いただきます」
月に何度か迎えられる朝の風景。
静乃さんの部屋にお邪魔するたびにこっそりと自分のモノを増やしていっている最中だ。
でもそこでも調子に乗ってやりすぎてはいけない。
さりげなく、でもこっそりとだ。
『もしかして史明くん、ウチをホテル扱いしてる?』
なんて以前突っ込まれてしまったことがあった。
「と、とんでもないです!そんなこと一度も思ったことありません。ただ……」
「ただ?」
「ひとりでは無性に寂しく思うときがあって……僕、静乃さんに甘えてます、ごめんなさい。
でも追い出さないでください。じゃないと僕……潰れちゃいそうなんです」
計算したわけではないけれど、自分でもかなり情けない顔と態度だろうと思える。
でもここで静乃さんの部屋に出入り禁止なんてなったら、僕はこれから先どうしていいのかわからなくなる。
そんな自分を想像すると、とんでもなく怖くて恐ろしく思う。
だから自然に眉はハの字になり、縋(すが)るような眼差しで静乃さんを見つめてしまう。
そうすると静乃さんは、とても困った顔をするのに、どこかテレたような曖昧な顔になって
『もういいわ』 って言ってくれる。
静乃さんの中でどんな葛藤が起こってるのかわからないけれど、僕はその言葉を聞いてホッとする。
でもそんな時間も、だんだん忙しくなってきた仕事に阻まれて、思うように静乃さんに会えなくなってきてることも事実。
だから静乃さんに会えたこの時間を、大切に大事にしたいと思った。
前に静乃さんの部屋を訪ねてから今日で1週間。
僕にとっては待ちに待った至福の時間だ。
静乃さんもそう思ってくれてたらいいのにといつも思う。
やっとドキドキしないでチャイムを押すことができるようなった。
「こんばんは。今日はおいしいワインが手に入ったので持って来ました」
「…………こんばんは。ありがとうございます」
いつものように、いつもの笑顔の静乃さんがそこにいた。
「なんだか高そうなワインだけど……本当に私なんかと飲んじゃってよかったの?」
「いいんです。最初っからこれは静乃さんと飲もうって決めてたんですから」
「そう?じゃあ遠慮なく」
静乃さんが僕がワインと一緒に持ってきた、小さなオードブルにある生ハムを突きながら
ワインをコクリと飲む。
今日は先方の急なキャンセルで、時間ができたから来れたようなものだ。
何件かの案件と契約が同時進行で動いてて、それが同じ時期に重なったから
本当に半端ないほど忙しい。
そういえば先日、急にあのS・Sエンタープライズのカスミさんが来たのには驚いた。
『近くに来たから寄ってみただけです』 とは言ってたけど、正直忙しいときだったから
ロクに相手も出来なかった。
また食事でもというお誘いは、丁寧にお断りした。
忙しくてそれどころじゃないし、そんな時間があったら仕事に費やして静乃さんに会う時間を
捻り出すことに使ったほうがいい。
今日だって、やっと作り出した静乃さんとの時間なんだから。
「あれ?静乃さん転職するんですか?」
静乃さんのカバンからはみ出してる求人雑誌が目に留まった。
「え?あ……そう」
「なにかありました?」
「え?」
「いえ、そんな話、初耳だったので」
今までそんな話一言も聞いてないし、話題にも上がってなかった。
「あ……前から考えてはいて……これから先、手に職をつけておいたほうがいいかなぁ……とか、
そんな仕事につこうかなって……あんまり歳をとってからだとなかなか難しいでしょ?」
「もう、新しいところは決まったんですか?」
「まだ探し始めたばかりだし……ゆっくり決めようと思って。なにか資格取ってからでもいいかなって」
「そうですか」
確かにもっともな理由だと思ったし、今の時代手に職も必要だと思う。
でも……いつか僕の奥さんになってくれるのなら、もしかしてそれは必要なくなって
しまうかもしれないけど。
なんて思ってると頭の中には結婚式を挙げてる場面と、エプロンをつけた静乃さんが
キッチンで料理を作ってる姿が思い浮かぶ。
そんな妄想から現実に戻ると、じっと静乃さんが僕を見てた。
なにか僕に訴えかけてるような眼差しだったからつい問いかけてしまった。
「はい?」
「!!」
どうしてそんなに驚くんですか?
「あ……あの史明くん」
「はい?」
「…………」
な……なんでしょう?ナゼそんなに動揺してるんですか?
「あの……」
「?」
「史明くんって……結婚……は?」
「え?」
今、結婚って言いました?
「いや……あの……史明くんも、いいお年頃でしょ?」
「そうですね……年齢的にはそうでしょうね。友人の中には結婚して、子供がいる人もいますしね」
何人かの友人を思い出して、クスリと笑う。
結婚式や家に遊びに行ったときのことを思い出したから。
「じゃあ……そういうお相手……」
「周りからは前から結婚しろ結婚しろって、言われてますけど」
お見合いもつい最近までごり押しされそうでしたしね。
「……やっぱり」
「え?」
「う……ううん。じゃあ結婚する予定はあるんだ」
「まあ、したくないわけじゃないので……できたらいいですよね」
“静乃さんと” と心の中で返事をして、にっこりと笑って誤魔化すためにワインをコクンと飲んだ。
え?え?ええーー!?
今のってどういう意味だったんですかね?もしかして確認ですか?静乃さん!!
心臓がバクバクになって、ワインのせいじゃない顔の赤みが!
「…………」
チラリと静乃さんを盗み見すれば、なにやら考えてる様子。
一体なにを考えているんだろうと思っていると、何かを決めたように顔を上げた。
「あ……あのね」
静乃さんが話し始めたと同時に、僕の携帯が震えだした。
本当は静乃さんと一緒のときは携帯の電源は切っておきたいくらいだけれど、自分の立場上
連絡がつかないのはマズイからマナーにして電源を切ることはしていない。
「あ!ちょっとすみません」
静乃さんには絶対聞かせられない舌打ちを心の中でしつつ、グラスを持ってない手を静乃さんに向かってあげた。
座りながらズボンのポケットを弄って携帯を取り出す。
グラスをテーブルの上に置いて、静乃さんに軽く頭を下げてから携帯を弄る。
そのまま玄関の方に歩いて行った。
電話が終わって静乃さんのところに戻ると、もうさっきの話には一切触れることはなかった。
その日の静乃さんは、特に変わった感じはしなかったと思う。
ただ結婚のことを聞いてきたのは珍しいと思ったけれど、それ以外はいつもとなにも変わらなく思えた。
でも今なら……もっとちゃんと、静乃さんを見ていればよかったと思う。
今まで一言も話題に上がっていなかった転職の話だって、もっと理由をちゃんと聞けばよかった。
仕事が忙しくなって、メールのやり取りだけしかできなくて……それで連絡が取れてると安心してた。
まさかこの日を最後に、静乃さんに会えなくなるなんて……
思ってもみなかった。
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