想い想われ?



17・史明視点




「どうして……」

僕は表札のなくなったアパートの玄関の前で立ち尽くす。
何度か通った見覚えのある玄関のドアは、何度チャイムを鳴らしても内側から開くことはなくて……。

当然のことながら、いつも僕を迎えてくれたあの笑顔を見ることもできなかった。



“HOMARE” の70周年記念パーティから12日後、僕は日本に帰国した。
向こうに着いて最初の数日は、契約の内容を煮詰め何度も話し合ってあっという間に過ぎた。
ホテルに戻っても、相手の条件に合いながら自社の利益も練りこんでと何度も内容を検討し直した。
その合間に繋がりを持つ人物の接待や、現地での視察やらでホテルには寝るためだけに戻っていたようなものだった。
静乃さんに連絡することもままならない状況だった。

だからやっと気持ちにも実務的にも余裕が持てたのは、こちらに来てすでに1週間が経とうとしていた。


「え?」

最初は携帯が壊れたのかと思った。

何度かけ直しても、静乃さんに繋がらない……何度送っても、静乃さんにメールが届かない。

「…………」

スッと全身から、何もかも抜け落ちた感じだった。

──── 行かなきゃ

真面目にそう思った。
今すぐ、静乃さんのところに行かなければいけない。

僕はそのとき “着信拒否” がどんなものなのか知らなかったから、きっと携帯にも
出れないようなことが静乃さんにあったに違いないと思ってた。 

「……っ!!って、行けるわけないじゃないかっ!!」

行けるわけがない。
仕事を投げ出すわけにはいかないからだ。

「……くっ……」

僕はベッド脇の床に膝をついて、ボスンと上半身をベッドに埋めた。
うつ伏せのまま、手に持っていた携帯を壊れるほどに握り締める。

ギュッと目を瞑って、思い浮かぶのはいつものあの優しい笑顔。

「静乃さん……」


どうか……どうか……僕が帰ったらいつものように、笑顔で僕を迎えてください ────





それから僕は、前以上に仕事に没頭して1日でも早く帰ることに専念した。
本当なら、もう1日早く帰れるはずだったのに、どうしても出席してほしいパーティが
あるとかで足止めをされてしまった。

空港からそのまま会社に帰るところを、会社の車を断って静乃さんのアパートに向かった。
タクシーを降りると、いつもと同じように静乃さんの住んでるアパートがある。

「静乃さん……」

僕は階段を駆け上がって、真っ直ぐに静乃さんの部屋に向かう。
たどり着いた玄関のチャイムを何度も鳴らして、ドアをバンバンと叩いた。

「静乃さん!僕です!史明です!」

ガチャガチャとドアノブを乱暴に回すけれど、カギがかかってて開く気配はない。
ドアノブを回しながら、もう一度玄関のチャイムを鳴らす。
それでも同じで、中からドアが開くことはない。
シンと静まり返った気配が、ドアの向こうから漂ってくる。

「どうして……」

名前のない表札……真っ暗な部屋……開かないドア……何度かけても繋がらない携帯……。

そう……もうここに、静乃さんはいないんだ。


「………ぅ……」

そう自覚したとたん、急に全身が冷えて小さく震えだす。

「そこの人、引っ越しましたよ」
「!!」

いつの間にか静乃さんの部屋の右隣の人が帰って来たらしく、自分の部屋のドアのカギをあけるところだった。
静乃さんより、ちょっと年上の女の人だった。

「あ……あの、この部屋の女性がどこに行ったかご存知じゃありませんか?」

僕は藁にも縋る思いで隣人の女性に尋ねた。
泣かなかった自分を褒めたかった。
そのくらい、そのときの僕の感情は一杯一杯だったから。

「さあ?前の日に挨拶に来たけど、これといって話さなかったし」
「い……いつ引越しを?」
「確か……んーーー先週の頭の方じゃないかしら?」
「先週の……月曜ですか?それとも……」
「ああ!ゴミの日だったから火曜日だわ」
「火曜……」

それじゃ創立記念パーティが終わってすぐ?
でもあの日の夜は静乃さんからメールをもらった。

じゃあ……あのときにはもう、引っ越すことになってたのか?

そのまま黙りこくって放心状態だった僕は、いつの間にか隣人の女性が部屋に入ったのも気づかなかった。

僕がなにか、静乃さんを怒らせるようなことをしたんだろうか?
そんなに僕のことが、嫌いだったんだろうか?

黙って僕の前からいなくなるほど、僕は静乃さんになにをしたんだろう。

静乃さんが僕との男女の関係は、あのときだけだと決めていたのはわかっていた。
だからそのあとは、僕とは友達関係を貫いていたと思う。
そんな静乃さんに対して僕は、その先の関係を求めて、願って、かなりいい関係になってたと思う。

だから静乃さんが僕を騙してたとか、弄(もてあそ)んだとかは思ったりしない。
きっと僕の何かに呆れたか、許せないことが起きたのか……だから黙って僕の前からいなくなった。

「…………」

僕と静乃さんのつながりは、このアパートの部屋と携帯の番号とメールアドレスだけ。
友達関係も知らないし、勤め先はどこかの事務をしてるっていうだけ。
実家の場所も知らない……。

「静乃さん……ぅ……」

また静乃さんの部屋の玄関のドアの前に立って、開くことのないドアに手をあてた。
そのまま力なくズルズルとへたり込んでその場に蹲る。
ハナの奥がツンっとなって、目頭が熱くなった。

「ぐずっ……」

もう、会えないんだろうか?
もう二度と、静乃さんに会えないんだろうか?

そう思っただけで、僕の胸はぎゅうっと誰かに鷲掴みされたように痛む。



どのくいらいそんなことをしていたのか、気づけば上着のポケットに入っていた携帯が震えていた。

「静乃さん!?」

慌てて相手も確めず電話に出る。

「も、もしもし!?」
『もしもし、副社長ですか?今どちらに』
「……え?」

相手は秘書の平林さんだった。
僕は一気に緊張した身体から力が抜けた。

『申し訳ありませんが海外事業部の方々がお待ちになっておりますので、一度こちらに戻っていただきたいのですが』

「……あ……」

そうだ……本当なら空港からそのまま会社に戻って、今回の契約の内容を話し合うはずだったんだ。
それを僕は静乃さんのことが気になって、会社には戻らずにここに来てた。

「…………はぁ……」

僕は小さく溜息をつく。

『副社長?』
「いえ……お手数お掛けして……申し訳ありません……」

なんとか涙声にならないように堪えた。

『どちらにいらっしゃるのですか?迎えの車を出しますが?』
「大丈夫……です。今からそちらに……戻ります。申し訳ないのですが、海外事業部の方には
あと30分ほどしたら戻ると伝えてください。……も……戻りましたらすぐに打ち合わせができるように
……第一ミーティングルームで待つようにと」
『かしこまりました。そう伝えておきます』
「ありがとうございます。では……」
『はい。お気おつけてお戻りください』

プチリと通話を切って、しばらく目を瞑って呼吸を整えた。

「はあーー」

大きな溜息をついて、身体から力を抜く。
そして膝に手を置いて、勢いをつけて立ち上がった。
長く座っていたせいか、それとも精神的なダメージのせいか、立ち上がった途端クラリと眩暈がした。
頭を振ってなんとか持ちこたえて、未だにシンと静まり返る玄関のドアを見つめる。

またハナの奥がツンとして、目頭が熱くなったけれど今度は涙が零れる前に手の甲で拭った。

『もう泣かないでください』

いつか静乃さんが僕に言ってくれた言葉。
それを思い出して、なんとか涙を堪える。

「ああ……またメガネが涙でビチョビチョだ……」

そう呟いても、僕はメガネを外そうとはしなかった。

だって……そのとき僕のメガネを拭いてくれた静乃さんはいないから。


僕はフラフラとした足取りで階段を下りると、タクシーを拾うために駅に向かって歩き出した。








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