想い想われ?



番外編・愛し愛され? 08 史明side




「ネクタイを外して、シャツのボタンに手をかけて……でもいざ貴方に迫ろうとしたときにね、
奥様から電話があったのよ」
「!」
「それでね、我にかえったの。こんなことをしてなんになるんだろうって。史明にだってどれだけ迷惑をかけるか気づいたの。
そのあとすぐに貴方も目が覚めたから」
「そうですね。未遂に終わったことに感謝しますよ」
「ごめんなさい…」
「貴方とは、二度とふたりきりでお酒は飲みません。というか、プライベートでのお付き合いはもうありませんから」
「…………」
「なにか?」

謝ったあと、ジッと僕を見ている由行さんに気づいた。

「腹いせだったのかしら?」
「は?」
「奥様よ。貴方が浮気したと思って、だったら自分もって」
「なっ…!? 静乃さんはそんな人ではありません!」

なんて恐ろしいことを言い出すんだか、この人は!
静乃さんがどんな人か知らないからって!

「だって私が携帯に出たとき多少驚いてたみたいだけど、奥様は喚いたり私を問い詰めたりしなかったわ。
ワザと意味深なことを言って電話を切ったのに、折り返して電話を掛け直してもこなかったのよ」
「なにを言ったんですか」

聞くのも怖いですが。

「貴方のお世話は私がしますからご心配なく、って」
「はあぁぁぁ!? な、なんてことを言うんですか! 貴女は!」

僕はエレベーターに向き直ってまたボタンを押す。
そんなことがあったのなら、尚さら静乃さんと話をしなければ。
話して、ちゃんと昨夜のことを説明して誤解を解いて安心させてあげなければ。

まったく! 話してる間にエレベーターが一度止まって、また上に移動してるじゃないですか!
急いでるときに限って……。
また上から降りてくるのを、待たなければいけないじゃないですか!

「史明」

そんな僕を見て彼女はどう思ったのか。

「たしかにあなたにはこちらから声をかけました。けれどそれは、あくまでも仕事に関してのみでのことです。
なのであなたのプライベートのことは僕にも、ましてや仕事にはなんら関係のないことです。
今回のことは僕にも多少責任がありますのでこれ以上は不問にしますけど、今後は仕事のお付き合いのみでお願いします」
「史明…」
「ああ、言うまでもないですが今回のことを仕事に持ち込むなんてことはしませんよね。あなたも経営者であるなら、
そんなことは僕が言わなくても重々承知していることだと思いますが」
「史明…貴方随分変わったわね。昔はそんな人を切り捨てるようなことを言うような人じゃなかったわ。
人当たりもよくて女性にも優しかったのに」
「あれから何年経ってると思ってるんですか? 僕だって変わりますよ。と言うか変わらなければならなかったんです。
なんせ僕の肩にも何千何百人という社員の生活がかかってますからね。それに結婚しましたから、大切で守りたい人もできましたし。
その人が第一に決まってるじゃないですか。他の女性と差ができるのは当たり前だと思いますけど」
「恋人ができてもしばらくすると別れてたし、それでモメることもなかったみたいだから、史明は女性にはそれほど執着はないのかと思ってたわ。
結婚したのだって、ビジネスの面から見て必要に迫られたからかと思ったし」
「昔はそうだったかもしれませんけど、今は違いますよ」

ポンという軽快な音がして、エレベーターが到着した。
目の前で扉が開いて、ふたりで乗り込む。
いつもより素早い動きで1階のボタンを押して、いつもは押さない“閉”まで押した。



エレベーターが1階に着いて扉が開くと、由行さんには挨拶もそこそこにロビーに向かって歩きだした。
由行さんはなにか言いたそうだったけれど、僕は構わずに歩きつづけた。

歩きながら、森末さんに車を回してくれるように連絡をとる。
本来なら秘書の平林さんの仕事なのだけれど、今日のように僕ひとりで対応できるときや、直帰するときなどは同行しないときもある。
森末さんとの電話を切ったあと、静乃さんの携帯の番号を呼び出す。

「出てくれるでしょうか…」

そんな不安をなんとか堪えながら、なかなか途切れない呼び出し音に集中する。
だから僕は静乃さんがまだホテルのロビーにいたなんて……まったく気づかないまま、ホテルをあとにした。






「ああ!」
「どうしました? 史明様」

家に向かっている車の中で、僕は悲観の声をあげた。
そして座席で頭を抱えて蹲る。

「……切られた」

静乃さんにかけた電話が留守番電話に繋がることもなく……今のは相手によって切られましたよね?

「…………」
「史明様?」

心配して声をかけてくれている森末さんに返事をすることもできないほど、僕は動揺していた。

「いえ……なんでもありません。自宅に向かってください。なるべく早く」
「畏まりました」

マンションに着くと念のために森末さんに待っていてもらって、エントランスに入る。

「お帰りなさいませ、楡岸様」

コンシェルジュのふたりが、入ってきた僕に気づいて頭を下げた。

「!」

いつもならそのまま挨拶だけしてエレベーターのほうに歩いていくのに、今日は彼等に向かってズンズンと歩いてくる僕を見て
一瞬顔が強張ったようだったが、そこはプロですぐに何事もなかったかのように立っていた。

「あの」
「はい」
「静……いえ、妻は帰って来ましたでしょうか?」
「奥様ですか? いいえ、まだお戻りになっておりませんが」
「!!」
「楡岸様?」
「…………いえ、ありがとうございました」


それでも僕は部屋に行かずにはいられなかった。
よろめきつつもなんとかエレベーターに乗り、自宅のある階を目指す。
見慣れた玄関が目の前にあって、力なく玄関の呼鈴を押す。
どんなに待っても中からドアが開くことはない。
まるであのときのようだ……。
何度か差し込むのに失敗しながら鍵をあけて、中に入る。

当たり前だけれど、誰もいない部屋の中は真っ暗でとても静かだ。

「静乃さん……」

どこにいるんですか?

「ああ、頭がおかしくなりそうだ」

僕は額に手を当てて、玄関の壁に寄りかかる。
自力で立っていられないほど、精神的ダメージは計り知れない。

あの男と一緒にいるんだろうか?
僕は見たことのない男だった……一体どんな知り合いだったのだろう。
それに今日、誰かに会うなんて僕は聞いていない。
僕に内緒で会うような相手だったということだろうか。

「まさか……僕とのことの誤解で、取り返しのつかないことなんかになってやしないだろうか」

僕が浮気したと思って、あのまま静乃さんの相談に乗るフリをして、静乃さんの心の隙をついて……。

「うわああああああああああ!!!」

僕は身体を反転させて、玄関の壁に何度も拳を叩きつける。

「静乃さんに不埒なことをしたら……あの男……許さない……必ず後悔させてやる!」

元の原因が自分だというコトは、このときは遥か彼方にふっ飛ばしていた。

♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪

「!!」

携帯の着信音がして、僕は敏感にその音に反応する。
それはメールの届いた音で、静乃さんに設定してある着信音だ。

「静乃さん!」

届いたメールを慌てて開けば、今夜は静乃さんの実家に泊まるということを知らせる内容だった。

「実家ですね!」

僕は携帯を上着の内ポケットにしまいながら玄関から出ると、素早く鍵をかけてエレベーターに向かって走り出した。









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