ひだりの彼氏 番外編 李舞の生まれた日


01




目をあけて時計を見ると “今日” になって10分ほど過ぎていた。

オレは隣で眠っている奈々実さんを、そっと上から覘き込む。
すうすうと穏やかな寝息が聞こえて、いつものようにオレの脇の下に頭を潜り込ませてる。

『仰向けで寝たい〜〜うつ伏せになりたい〜〜』

子供ができてから、特にお腹が目立ってきてからはそんな体勢になれなくて、
ときどきそんなことを言ってた。
妊婦って色々なことが制約されると思ってたけど、意外なところで簡単なことが
自由にならないもんなんだと改めて思った。
それに仰向けやうつ伏せになれないことが、けっこうストレスになるもんなんだと初めて知った。


「…………」

寝入ってる奈々実さんのお腹にそっと手を伸ばす。

かなりの弾力があるのに、柔らかい不思議な感触。
しかもこの “中” に、ひとりの人間が入ってて育ってる。

男としてよりも、タダの人としてでも本当に不思議だと思う。

まさに生命の神秘。

なんて奈々実さんだからそう思うのか、安奈先輩やあの泉美にも同じことがあったことは、
この際置いておくことにする。

「李舞」

お腹に手を当てながら、もうすぐこの手に抱けるであろう子供の名前を口にする。
オレと奈々実さんの子供……ふたりの子供だ。

「待ってるから……早くオレと奈々実さんに顔をみせて」

そうお腹に向かって囁いて、パジャマごしから李舞にキスをした。

医者から女の子と告げられたわけではないけれど、これは確信に近い。
きっとこの子は女の子で、今日無事にオレと奈々実さんのもとに生まれてくるだろう。

なんせ今日が予定日だし。
奈々実さんはこれっぽっちも信じていないみたいだけど。
ポムポムと軽くお腹を撫でて、奈々実さんを抱き寄せると、オレはまた眠りについた。




「おはよう」
「おはよう、奈々実さん」

数時間後、オレよりあとに寝起きの目を擦りながら、奈々実さんが起きて来た。

「はあ〜〜」
「大丈夫?」
「んーーちょっと苦しいかな。でも臨月だしね、仕方ないわよね」

ゆっくりとキッチンテーブルのイスに座る奈々実さん。
しっかり妊婦さんが板について、マタニティの服も似合ってる。
でも、この姿も今日までで見納めになる。

「今日だね、奈々実さん」

オレの言葉に、奈々実さんがピクリと眉を寄せる。

「あのね……何度も言うようだけど、あくまでも今日は “予定日” なだけだから」
「じゃあ “さんた” だね」

オレは奈々実さんの返された言葉に、サラリと言い返す。

「ぐっ!……あの……もしかして、本気でその名前つける気?」
「嫌がる意味がわからないんだけど。 “いぶ” じゃなければ “さんた” でしょ」
「その無表情な顔がどうもいい加減さを物語ってるのよね」
「何度も言うけどそんなことないから。父親として、ちゃんと責任感を持って考えてるよ」
「ええ?そう?」

そうは見えないって顔、モロわかりなんだけど。

「入院の準備できてる?」
「失礼ね!ちゃんとできてるわよ!それに毎日のようにバックをチェックしてるのあなたじゃない」
「備えあれば憂いなし。だいたい奈々実さんはあてにならないし」
「な!?し……失礼な」
「二週に一回になった診察を忘れたの誰」
「あ、あれは日にちを勘違いしただけで……」
「オレが言わなかったら、確実に診察受けないで終わったよね」

彼はそう言ったあと、私の目の前にコトリとホットミルクを置いた。
確かに彼のいうとおりで、なにも言い返せないんだけど……ついムキに。

「でも……」

そのとき、ツキリとお腹に痛みが走った。

「ん!……っ」
「奈々実さん?」
「だ、大丈夫……ちょっとお腹が張っただけだから」
「…………」

いつもの無表情で、彼がジッと私を見てた。



「あたたた……」

お昼近くなって、本格的にお腹が痛くなってきた。

「はふ……」
「20分間隔、間違いないね」

しっかりと痛みの間隔を計ってた彼。
まったく……その用意周到さがなんとも言えず。

「すみません、そちらでお世話になってる三宅奈々実ですが……」

びょ、病院にまで電話してるし!!さっきから、テキパキテキパキ……。
感心するというより、呆れてしまうのはナゼ??

「あっ!!イタタタタ……」

彼の気遣いを呆れたせいか、また痛みだした。
うぅ…ごめんなさい。

「はい、20分間隔です」

携帯で話しながら、準備してあった入院用のバックを肩にかけて車のカギを私に見せる。
私は痛みに耐えながら、コクンと頷いた。


痛みが引いたのを見計らって、車に乗り込む。

「はぁ……」
「大丈夫?」
「ん……痛くないときは平気」
「じゃあ、病院まで頑張ってね。さすがに車での出産はオレでも対応不可」
「ならないわよ!ってずいぶん落ち着いてるよね」
「そう」
「うん」
「これでもテンパってるんだけど」
「え?!」

ジッとハンドルを握ってる彼を見た。
相変わらずの、いつもの無表情ですけど?

「どこがよ!」

ホント、どこが?

「ここが」
「!」

彼が、自分の胸に手を置いた。
ひょえーーウソォ!?か、彼がまともに答えてる!!
いつもなら、とんちんかんな場所指差すのに!

本当に余裕ないのね〜〜なんて、いたく感心してしまった。
まあ、一大イベントだものね……出産って。

「じゃあ、行くよ」

私は彼の顔をまじまじと見つめながら頷いた。



奈々実さんの様子を気にしながら、無事に病院にたどり着いた。
すぐに診察してもらうと、今日中に産まれるか微妙なところだそうだ。

「そういえば、ウチの親に連絡してくれたの?」

ベッドに横になりながら、ときどき顔を歪めて奈々実さんがそんなことを聞いてくる。
余裕なんてないはずなのに。

「今から来てもしかたないと思うけど」

うちの親は生まれたら知らせることになってる。
こっちに出てくるだけでも一苦労だから。

「た、確かにそうだけど……あなたひとりじゃ大変じゃない?」
「なにが」
「時間かかったら」
「かからないよ」
「は?」
「早く顔見せてって、ちゃんと言い聞かせてたから」
「え?」

誰に?なんて無表情の彼に向かって言いそうになる。
でも……多分……そうよ……ね?

「大丈夫」
「…………」

気になって追及したら、最近では毎晩のようにお腹に向かって話しかけてたんだとか!

そんな彼の姿を想像するとちょっとコワイと思いつつも、呆れてしまうのは仕方ないわよね?
っていうか、そんなに待ち望んでたんだと、悪いと思いつつ感心してしまった。


「はぁはぁはぁ……うぅっ!」

彼の言ったとおり、あれからさほど時間が経たないうちに陣痛が本格的になってきた。

初めてのことでドキドキと緊張しつつも、あまりの痛さに意識が朦朧としてくる。
ほんのつかの間の、陣痛が治まる一瞬の時間で眠ってしまいそうになる。
すぐにまた痛みで起きるんだけど。

痛いのは……覚悟はしていた。
ただ想像以上なのと、先の見えない腰にくる痛み。
しかもその痛みが人に八つ当たりしたくなるような痛みで、そう!いつもの生理痛の何百倍もの痛さ?
腹痛とは全然違う。
思わず、そばにいる看護師さんを殴りそうになる。
だから殴らないようにするのがちょっと大変だった。

「もう少しですからね。初産で早いほうですよ」
「……ハア……そ……う……なんですか?んんっ!!くぅ〜〜〜」
「ご主人に来てもらう?」
「いえ……大丈夫です……」

この病院は立会いができるんだけど、私が彼の立会いを断った。
いや……だって……テレビとかではとっても感動〜〜〜!!って感じで映ってるけど、
やっぱり色々と恥ずかしいというか……見方を変えるとちょっとエグイんではないだろうか?と思うから。
私からは、生まれる瞬間が自分で見れないからなんとも言えないけど。

まあ、彼なら気にしなさそうだけどね。
そう言えば “そう” と言っただけで、頷いたわけじゃなかったな……と痛みの中で思った。



「あぁ……ふうぅぅぅ」

痛い!!
でも、そんな中でも色々と看護師さんに指示をされる。
そのとおりにするんだけど、初めてだからなかなかうまくいかない。
ホント……一体いつ終わるの?
なんかクラクラしてきたし、股関節がキシキシしてる気がする。

私……本当に産めるのかな?
そんな不安がよぎる。

「奈々実さん」
「!!」

自分の名前を呼ばれて、イキみながら気配を探る。
いつの間にか分娩台のすぐ横に彼が立ってた。

「な……んで?つっ!んんん!はぁはぁ……」
「もうすぐだよ、奈々実さん」
「……え?」

汗でへばりついていた額の髪を、彼の手のひらが撫で上げてどかす。
その額にチュッとキスされた。

「!!」

ちょっ……こんなときになにすんの!!
そう言いたかったけど、今まで以上の痛みと身体の変化が訪れた。
これって……もうすぐ生まれるんだ。
でも……でも……骨、砕けちゃうんじゃない?絶対無理だってばーーーー!!
通らない!!絶対、通らないってーーー!!

「もうイキまなくていいですよ、息を浅くハアハアして」
「くっ……」

いや無理!!身体に力入っちゃう!!ここで力抜いたら、またさっきまでの痛みが永遠に続きそうでイヤだ。
ここはこのまま力に任せて……。

「力、抜いて」
「奈々実」

看護師さんの言葉に紛れて、耳に直接彼の声が聞こえた。
もうワケがわからなかった状態だったのに、彼の声だけはちゃんと聞こえた。

「好きだよ奈々実、愛してる」

───── え!?…………いま……?


その瞬間、自分の身体から力が抜けた。

と思ったら、私の身体の中からスルンと出て行った。

そのあと、赤ちゃんの元気な鳴き声が聞こえてくる。

生まれてからすぐに、さっきまでの死にそうだった痛みが嘘のように引いた。
身体は至るところが色々な痛みに襲われてるけど、まったく気にならない。

「頑張りましたね、お母さん。女の子ですよ」
「……え?」

女の子?彼の……言ったとおり……。

「はい、はじめまして、お父さん、お母さん」
「あ……」

真っ白な布に包まれた、生まれたばかりのふにゃふにゃで、しわくちゃで、小さな小さな赤ちゃんが、
私の胸の上にうつ伏せで乗った。

「ふぎゃっ……ふぎゃっ……」
「…………」

私は色々思うのに、頭の中は放心状態でなにも言えなくて……。
そしたら彼が、赤ちゃんのほうに少しかがんで顔を寄せた。

「はじめまして李舞、やっと会えた。オレも奈々実さんも、李舞に会いたかったよ」


そう囁いてさっき私にしたのと同じように、赤ちゃんの……

李舞のポッペに、やさしく……チュッとキスをした。


そのときの彼が微笑んでいたのは……私の目の錯覚だなんて思えなかった。



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