ひだりの彼氏 番外編 ツバサ飲み会に参加する


01




「…………」
「…………」
「……はあ」

──── なでなで

「……はあ〜」

──── なでなでなで

「はあぁ〜」
「もう、毎回毎回いい加減にしなさいよ。講義に遅れるわよ」

玄関で娘の 李舞 いぶ を抱きしめながら溜息ばかりつく彼。
そんな彼の頭を、李舞がずっと撫で続けてる。
今日は大学のゼミの教授が年に何回か開く学生同士の親睦会と称した飲み会の日らしい。

「薄情だな、奈々実さんは」
「だって、ただの飲み会でしょ? ゼミので断るわけにはいかないなら仕方ないじゃない」
「お酒なんて飲みたくもないんだけど」
「これもお付き合いよ。社会人になれば嫌でも参加しなくちゃいけないんだから。ゼミの教授もそういう経験をさせようと思って、
OBの人も呼んでるんでしょ? それに今回が初めてじゃないじゃない」
「ホント、毎回余計なお世話だよね」
「お酒が飲めないなら断ればいいのよ。上手い断り方を学んでくるのね。じゃないと貴方、とんでもないこと言って断りそうだから」
「とんでもないこと?」
「無表情で、“飲めない人に、そんな強制的にお酒を飲ませていいのか”とか“体調が悪くなったらどう責任とってくれるんだ”とか?
相手を不快にさせるようなこと言いそう」
「飲みたくない相手に強制的にお酒を勧めて、飲ませようとするほうが悪いと思うけど」
「就職するとそういうわけにもいかないでしょ。接待で一緒に飲んだりすることもあるだろうし」
「この不景気な世の中で、もうそういことも少ないんじゃない」
「そういうのがなくても、会社の上司とか先輩と飲むこともあるでしょうに」
「そのときはオレがどんなにお酒を飲みたくないか、飲めないか懇々と話させてもらう」
「……もう。っていうか、お酒云々よりただ単に飲み会に行きたくないんでしょ?」
「当たり前。帰りが遅くなる」

そう言って、李舞のオデコに自分の額をコツンと合わせる。

「起きてる李舞に会えない」
「今日一日のことじゃない」
「これで何度目だと思ってるの? 李舞だってオレと一緒にお風呂に入って、一緒にご飯食べて、一緒にテレビ見て、一緒に眠りたいよね」
「っしょ? れび?」
「そう、一緒」
「だから今日だけでしょ?」
「あんなむさっ苦しい男連中と嫌いなお酒飲むより、奈々実さんと李舞と一緒にいたい」
「……貴方がこんなに子煩悩とは思わなかったわ」

たしかに子供を欲しがっていたけど、まさかここまで可愛がるとは思ってなかった。
いつも無表情で何事にも関心を示さない彼だから、それなりに子供と付き合っていくんだろうと思ってたのに……こっちが驚くほどの溺愛っぷりだった。
今だってオデコ同士をスリスリさせてたかと思うと、顔中いたるところにちゆっちゅちゆっちゅとキスの嵐。
それを嫌がりもせず、動じずに受け止めてる李舞も李舞だけど。
くすがったがるとか、きゃっきゃきゃっきゃとはしゃぐわけでもなく、至って冷静。
まだ2歳じゃそんなものかしら?
いや、この子彼に似て好き嫌いハッキリしてるところあるから、父親でもしつこいと嫌がってもおかしくないはず。
うちの父親の頬ずりは何気に拒否ってたし。
お祖父ちゃんなのに……ってお父さん落ち込んでたもの。

「李舞……」
「んー?」
「はいはい」
「あ!」
「本当にいい加減にしてよね。時間なくなるわよ」

いつまで李舞を離そうとしない彼から李舞を抱き上げる。
親睦会は夜でも、今日はしっかりと講義があるんだから。

「いってらっしゃい。ほら、李舞もお父さんにいってらっしゃいって」
「いってらっちゃい」
「!!」

舌っ足らずな言葉で私の言うとおりの言葉を言って、“バイバイ”と手まで振る。
そんな李舞を見て、ちょっとショックを受けてる彼。
いや、この素っ気なさぶり。
貴方にそっくりじゃない。

「はあ〜しかたない。いってくる」

不機嫌オーラ出まくってるわね〜
無表情の彼の眉間に皺がちょっとだけよってたから、かなり機嫌が悪いかも。
でも、少しずつでもいいから世間のお付き合いにも慣れていってくれればいいと思うから。
彼が出て行った玄関のドアを見ながら思う。

「お父さん、頑張れ〜ってね」
「がんばれ?」
「うん。さて、李舞も保育園に行く支度しないとね」
「ね」
「ふふ♪ いい子、いい子」

今度は私が李舞のほっぺにチュッとキスをして、保育園に行くための準備をし始めた。




「…………」
「相変わらず無表情だな〜三宅は。ほら、少しはニッコリしてみろって」
「お気遣いなく」
「三宅は酒じゃなくてウーロン茶でいいのか?」
「はあ」
「いや、最初の乾杯くらいはお酒飲めよ」

今日初めて参加したこのゼミのOBでもある 室井 むろい が“なに言ってんだ”というようにビールを注文する。

「…………」

内心ウンザリしたツバサだったがOB相手ということでなにも言い返さず黙っていた。
べつに飲んだフリをすればいいかと思ってもいたし。

「いや、室井さん。コイツ酒癖が悪いんでお酒は飲ませないほうがいいってことになってるんですよ」
「なんだ酒に弱いのか? 酔って酒に呑まれるなんてしょうがねえな。やっぱ今のうちに酒に慣れて少しでも強くなってたほうがいいんじゃねえか」
「いや〜やっぱ飲ませないほうが周りのためっていうことになったんですよね」
「周りのため?」
「コイツ、絡み酒なんですよ」
「絡み酒?」

そう言ってツバサをじっと見つめる室井。

「もともとお酒も好きじゃないみたいですし、あんま飲めないみたいなんで教授も無理に飲ますなって」
「ふーん……」

このゼミの教授である轟は“お酒を楽しく飲む”ということを重視してこの飲み会を開いている。
なので新入生だからと未成年にお酒を飲むように強要したり、一気飲みさせたりするようなことを嫌っている。
そのことを知っているので室井としても教授の意向に沿ってまでツバサにお酒を飲ませようとは思っていなかったが、
ここ数年の新入生の中でも異性にもてそうな容姿で、しかもこの若さで妻帯者という。
他のゼミのメンバーからその話を聞いていて、つい最近付き合っていた彼女から別れを切り出され独り身となった室井は面白くなかったのはたしかだ。

「お前、結婚してるってホントか?」
「はあ」
「その若さでなんでまた? デキ婚か?」
「ちがいます」
「ふーん。嫁さんは同い年か? いや、年上か?」
「はあ」
「いくつ上だ」
「…………8歳ですね」

なんでアンタにそんな話をしなきゃいけないんだと思ったツバサだったけれど、言わなければなんだかしつこく絡んできそうだと判断して
必要最低限の返事で返した。

「8歳? じゃあ嫁さんは27……28か?」
「はあ」
「なんだ、いいように言いくるめられてつかまったのか? やっぱ若い男のほうがいいってか? お前、はやまったんじゃねぇの?」

ハハハ、と笑ってツバサの肩をバシバシと叩きながらそんな失礼なことを言う室井。
OBというのと年上ということもあって遠慮なく言ってもいいと思っての発言で、多少やっかみも入っていたのは仕方のないことだったのか。

「べつに、はやっまってないんで」

奈々実との歳の差と、自分が年下ということは今まで結婚しているとわかった相手から言われるのは定番になっていたので“またか”という気持ちで小さく溜息をつきつつ返事をした。

はやまってなんてないし。
むしろ自分が強引に結婚を進めたに近いし。

でもそれを言う気にもならなかったし、言ったら言ったでまたメンドクサイことになることはわかったいたので適当に室井のことをあしらっていた。
隣に座って超ツイてない、と心の中でぼやきつつ。



「乾〜杯〜!」

なにが乾杯なのか? と疑問に思いつつも、少し遅れると轟教授からの連絡を受けて先に始めることになった。
今日の席はテーブル席ではなく、座敷タイプの個室だった。
かなりの大部屋で、隣ともそんな密着しなくても座っていられる。
なのに、なんで自分は隣の人物とこんな密着して座ってるんだろう。
と、ちょっとイラッとするツバサだった。

「お前、そんなんじゃ社会人としてやっていけねぇぞ。男だって愛想がよくなけりゃ先輩に目をかけてもらえねぇんだからな」
「はあ」

ウザい。
ツバサの心の中では、その言葉が何度も何度も繰り返されていた。
しかも、開始30分で酔うってどんだけ酒に弱いんだっての。
と、今日何度目かのこの男の隣に座った自分の運の無さに溜息が出る。

ツバサ自身だって社会人になり、会社に勤めるようになればそれなりの付き合いをしていかなければならないのはわかっているし、
奈々実が心配するのもわかっている。
それに今は可愛い可愛い娘がいるのだ。
愛する妻子を養っていくために、それなりに出世もしないといけないと思っているツバサパパである。
肝心の奈々実は疑っているけれど。
だから耐えていた。
嫌な相手をうまくかわすことは慣れていたし。
この口だけでなく、身体のどこかをバシバシと叩きながらの絡み方は姉の 泉美 いずみ に似てる……と思いながらも、ツバサはなんとか耐えていた。

飲み会が始まってそろそろ1時間になろうとしていたころ、もうそろそろ帰ってもいいだろうと思い始めていたツバサ。
それを察したのか、隣に座っていた室井がガシッとツバサの肩に腕を回して引き止めた。

「なんだよ〜三宅。もう帰んのか〜?」
「はあ」
「全然飲んでねじゃんかよ〜」
「室井さん、飲みすぎっすよ」

ツバサとは室井を挟んで反対側に座っていた学年が上の男が室井を嗜める。
名前はなんだったか忘れたが、顔には憶えがあった。

「コイツ、全然飲んでねぇんだぞ。俺の酒が飲めねぇってか?」
「飲んでますけど」
「チビッとだろうが! 一杯も飲んでねぇだろ」
「室井さん、三宅は飲めないんですって」

その学年が上の男の隣に座る、多分この男も上の学年だったっけ? と思われる男が室井を嗜めた。
けれどそんなものは全く気にしていない様子の室井。

「そんなんじゃ会社に入ったらやっていけねぇぞ」

いや、やっていけるだろう。
とツッコみたくなる。
そんな飲み会命の会社なんてないだろう。
よっぽどこの男が勤める会社は飲み会命なんだろうか。
と、どんな会社だと思うけれどもあまり関心のないツバサ。
けれど、この男も随分と酒癖が悪いと思う。
酒に呑まれてるのは自分のほうだろと。
自分こそ酒に強くなれば、と言いたいのをなんとか我慢した。
今までだったら表情一つ変えずに、バッサリと言いきっているだろうと思う。
それがこんなにも忍耐強く耐えている。
こんな自分を奈々実に見てほしいもんだと、ツバサは心の中で自画自賛。

「男はまずは仕事だろうが。仕事で一人前になってから結婚だろう。ったくよ〜」
「今日はどうしたんですか? 室井さん。なんかあったんですか?」
「フンッ、別になんにもねぇよ。ただな、この甘ちゃんな野郎にだな、社会に出るってことはどういうことか教えてやらないとと思ってよ」

もともと要らぬ世話焼きが好きな男なのか、余計なお世話だっていうの。
ここまで言われてもツバサは室井を相手にせず、黙って言われることを聞いていた。
酔っぱらいの言うことだし。
ウンザリはしていたけれど、一生この男と付き合うわけではないし。
けれど、室井はツバサのそんな態度にも反応したらしい。
相手にされなさすぎで余計癪に障ったのか。

室井に訊ねた男の、その隣にいた男がコソッと耳打ちをする。
その会話が微かに聞こえた。
聞いた相手も、『え? そうなの?』と残念な顔をして室井に視線だけ送る。

どうやらこの男、最近フラれたらしい。
自分には全く関係ないことだったので、なんの感情もなく無言で室井を見ていたツバサ。

「な、なんだよ!」

同情的な目で見られていることに気づいて、その八つ当たりがツバサに向いてしまったのは仕方のないことなのか。
ただ単に、この男の隣に座ったときからついてなかっただけなのか。

「さっさと帰って、姉さん女房にいい子いい子でもしてもらうのか〜今から嫁さんの尻に敷かれてどうすんだっての。だけどお互い大変だよな。
嫁さんはこれからどんどん年取ってくだけだし、いっつも若い女に亭主取られないかビクビクしなけりゃなんねぇし。
亭主は亭主で人生経験積んだ年上の男に嫁さん取られねぇかビクビクしてなきゃいけねぇんだからな。
なあ? 大変だな〜お前」
「ちょっ! 室井さん! 言いすぎですって!」
「なに言ってんだよ。それが現実だろう。今だって嫁さんの収入で食ってんだろ」

───── ぷちん☆

「ぐびっ!」
「え? おわっ! 三宅!?」
「おいおい!」

無言で目の前にあったコップのお酒を一気に飲み干すツバサ。
そんなツバサを見て、室井の隣にいた2人が驚きの声を上げる。

「…………」
「は……はは、なんだ飲めじゃんか」
「ちょっ……大丈夫か? 三宅」
「気をしっかり持てよ、三宅」
「なんだ、お前等大袈裟だな。酔ったらその辺寝かしとけばいいだろうが」
「いや、大人しく寝てくれればいいんですけど……」
「…………おかわり」
「は? おっ、おう。おい、なんか頼んでやれよ」
「え? 三宅、本当に大丈夫なのか?」
「おかわり」
「…………」

心配に思いつつも言われるままお酒を頼むと、ほどなくして新しいお酒が運ばれてきた。
それを待ち構えていたかのように受け取ると、一気に半分ほど飲み干す。
やはりキツかったのか、そのまましばらく俯いたままのツバサ。

「いいね、いいね! そうこなくっちゃな〜」

バシバシとツバサの背中を叩く上機嫌な室井とは裏腹に、傍にいた2人が様子を窺うようにツバサを見ている。



「ふう〜〜」

それから少し経ったころ、ツバサが俯いていた顔を上げて隣に座る室井をジッと見つめた。
視線に気づき、ツバサを見た室井にツバサはニッコリと微笑む。

「!」

けれど、その微笑んだ顔は目が笑っていなかった。
ザワザワと会話だけが聞こえていた居酒屋の座敷に悲鳴が上がる。

「ギヤ――――!! イデデデデデデデ!! いってえぇ――――!」
「やめろぉぉ! 三宅―――!!」
「誰だ! 三宅に酒を飲ませたのは!!」

騒然とする座敷の中で、笑顔で室井にプロレス技をかけるツバサがいた。
実は初めての飲み会でお酒を飲んだとき、同じように隣に座っていた先輩にプロレス技をかけたツバサ。
そのときは周りも気づくのが遅れ、止めに入ったときは相手にブレーンバスターを決めようとしたところだった。
なぜか遠巻きに様子を窺う男達。

「なっ……おい! 助けろって!」

ガッチリ腕に技を決められ、動くこともできず、苦痛に顔を歪めながら助けを求める室井。
けれどそんな室井を見ても、どうにも助けることのできない周りの男達。

「た、助けたいのはやまやまなんですけど〜三宅、近づいた奴全員に技かけるんですよ!
しかも、次の相手に行く前に技かけてる相手を必ず戦闘不能にしてからいくんで、室井さんヤバいっす!」
「はあ!? と、とにかくどうにかしろって! イデデデデデデデ!」

静かにしろと言わんばかりに関節技を決めている自分の腕に力を籠めるツバサ。

「三宅――!! 目が笑ってないって! 怖いって!! もうやめとけ!」
「室井先輩も酔ってたんだから、許してやれって」
「なんのことだか」
「うそつけーー! お前、嫁さんのこと言われてキレたんだろうが!」
「なんのことだか」

前にプロレス技を掛けたときは、初めてお酒を飲んだこともあって少量でも酔った。
それに加え今日のように結婚していることをワザと話のネタに上げ、最終的には姉さん女房との夜の事情など好奇心前面に持ち出して聞かれたのだ。
しかもその聞き方やいい方、遠慮なく自分の肩や背中をバシバシと叩き耳に口を近づけて話しかけてくる。
それが姉の泉美と似ていたのが余計にツバサを不快にしていた。
なので、酔いもあって相手が泉美に思えてきてしまったらしい。
家にいたころは泉美になにをされても耐えていたツバサ。
本当ならやり返したってよかったのを、後々面倒なことになるだろうからとあえてされるがままだった。
酔ったことでそのストッパーが外れ、アルコールの回った頭と身体がフワフワとして気分がよかったのもあった。
だから、これまでのお返しとばかりに目の前の泉美と思えた男に、今までやってみたかったプロレス技をかけまくった。
元々は自分が何度も泉美に掛けられた技だ。
返してなにが悪いくらいに思っていた。
気分爽快だった。
なのに、なぜか邪魔が入る。
だからまずは邪魔する奴らを動けないようにして、自分の邪魔をさせないようにした。
最終的に暴れまわったせいなのか、時間が経ったせいなのか、酔いが回ってクッタリとなってしまってやっと大人しくなったツバサだった。

そんなことがあって『ツバサにお酒を飲ませるのやめよう』という暗黙の了解が出来上がったのだった。
お酒さえ飲みすぎなければ、無言で座っているに近いツバサはまったく要注意人物ではないから。

「イデデデデデデデ!!」

腕の関節を決められながら、室井が悲鳴を上げているのを本当は 素面 しらふ で見下ろしていたツバサ。
たしかに酔ってはいるけれど、以前のように酔いは回っていなかった。
ただ、この室井に公然と痛い目に遭わせるのに酔ったふりをしただけ。
だから背後から羽交い絞めにされても素直に押さえられた。
とりあえず室井にさえやり返せたならそれでよかったから。
これに懲りてもう自分に絡んでくることもないだろうと思うツバサ。
なので早々に飲み会から解放されたツバサは、足取りも軽く家に帰ったのでありました。


運のいいことに、まだ寝ていなかった李舞にも会えて気分が上がったツバサ。
けれどお酒の匂いを嫌がられ、接近することを李舞に拒否されとんでもなく落ち込んだ。
ますます、お酒が嫌いになったツバサでした。


 











  拍手お返事はblogにて…