ひだりの彼氏


29




「ねえ。」
「ん?」

彼が朝ごはんの食器を洗いながら振り向く。

2週間あった彼の予備校の夏期講習も無事に終わった。
私はその2週間もの間…彼が予備校から帰ってくるとホッとする様な…嬉しい様な…
そんな変な気持ちを経験させられてしまった……何とも悔しい様な…納得できない気分。

どうやら彼は大学には受かる頭らしい。
そんなに頭が良さそうには見えないのに…

「この頭のどこか?」

なんて言ったら

「この辺。」

そう言ってツムジを指差した。
おちょくってんの!?


「今日ちょっと実家に行って来る。」
「そう。」

何だか会話だけ聞いてると結婚してるみたいでイヤだな…

「何か私に渡したいモノがあるんですって。」
「そう。でも夕方までに戻って来て。」
「わかってるわよ。」
「やっとオレも奈々実さんも休みなんだから。今日の約束憶えてる?」
「憶えてる。」
「ならいいけど。」

彼は元々夏休みで…私もお盆休みで1週間休み。
なんだけど土日挟んで9連休…

まあ他の人とはちょっとズレた夏休みかもしれないけど…
その方がもし出掛けてもゆっくり出来るかな…なんて思ったし…

でも…9日間も彼と朝から晩まで…一緒?眩暈がしそう…

彼が言う今日の約束はここから電車で2駅先の夏祭り。
そのポスターが飾られてから彼が絶対行くって言い出した。
私は乗り気がしないんだけど…彼は行く気満々。

「行かない。」
「なんで?」
「だって…それにあなただって知ってる人に会ったらイヤでしょ。」
「別に。」
「私はイヤ。」
「大丈夫。知ってる人なんて会わない。」
「そんなのわからないじゃない。」
「絶対行く。」

「どうしてよ!人が嫌がってるのに。」

「…………」

いつもの無表情の顔で見つめられる。

「奈々実さんが嫌がるから。」

「はあ?何よそれ!」

「それが理由。」
「……じゃあ私が行くって言ったら行かないの?」
「さあ。」
「でも今のままだと行くの決定なんでしょ。」
「だね。」
「じゃあ……行こうかな。」

この天邪鬼め!!これなら 「じゃあ行かない」 って言うでしょ?

「決定ね。」

「は??え…?!わ…私が行くって言ったら行かないんじゃないの?」
「何で?」
「だって…」
「オレそんなこと一言も言ってないけど。」
「…………」

そりゃ言ってないけど…あの流れじゃそうなるんじゃないの?

「良かった。奈々実さんも行く気満々で。」

そう言ってまた食器を洗い始める。

「…………」

私はポカンとそんな彼の背中を見てた。
ちょっと!!誰が行く気満々なのよ!!冗談じゃないわよ!!

そう思って彼に文句を言ったけどその後は私が何を言っても
聞き入れてもらえなかったのよね!もう!!

やっぱり彼って俺様なのかしら?でもやっぱりちょっと違う…

なのに勝てない私って……どうして??


♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪

奈々実さんが実家に出掛けた後オレの携帯が鳴る。
メールで相手は須々木。

内容は見なくても分かる。
今日の夏祭りのお誘い…数日前から何度か来てる。

最初に断ったのに…しつこいな。
だからシカトしてたら今度は電話が掛かって来た。
それも面倒でシカトしてた。
ただ奈々実さんが出掛けたから携帯の電源をオフに出来なくて…
その後も何度も掛かって来てたから仕方なく出る。

『ったくやっと出やがった。シカトすんなよ!』
「行かない。」
『いきなり断るなよ。マジ?誰かと行くのか?』
「そう。」
『え?マジで?』
「だから行かない。もう電話掛けてくんな。」
『え?何だよ!彼女か?』
「違う。じゃあね。」
『オイ……』

須々木が何か言ってたけどお構い無しに ぶちっ! っと携帯を切った。

『え?何だよ!彼女か?』

「彼女…」

違う…奈々実さんは彼女じゃない…そう…彼女じゃない……

でも……


5時半にここを出ようと約束してたのに奈々実さんがまだ戻って来ない。
時間は5時20分…車だから混んでるのか…久々の実家で捕まってるのか…
とりあえずもうしばらくは待ってみる。

それから少しして玄関の鍵が開く音がして奈々実さんが帰って来たらしい。

「今携帯に電話掛けようと……」

入って来た奈々実さんに話し掛けた声が思わず止まる。

「…………」

「奈々実さん?」

「何も言わないで!!」

「え?」

「馬子にも衣装だってわかってるから!!」

そう言って真っ赤な顔をして不貞腐れてオレから顔を逸らす。

「前お母さんにお祭り行くって話したら…用意してくれて…
べ…別に自分で着ようと思ってたわけじゃなくて…」

そう言ってハニかむのは…紺の布地に朝顔の絵が描かれてる浴衣姿の奈々実さん。
朱色の帯が紺の布地に引き立って目を惹く。

「自覚してるならいいんじゃない。」
「失礼ね!似合うくらいお世辞でも言えないの!」

今度は真っ赤になりながらオレを見上げて睨む。

「似合う。」

オレはお世辞は言えないから本当にそう思って奈々実さんに言った。

「………ありが……とう…」

奈々実さんがオレから顔を逸らして照れくさそうにそうお礼を言ったんだけど…

「茹蛸みたい。真っ赤だよ奈々実さん。大丈夫?」

「うるさい!大丈夫よ!」

お世辞くらい言えないのかと文句を言ったら彼が似合うと言ってくれた。
いつもの無表情じゃなくてちょっとは微笑んでた気がするから素直にお礼を言ったけど…
まさか彼のそんな言葉でこんなに照れるもんだとは思わなかった…

自分でもまさか浴衣を着るなんて思わなかったし…
本当に似合うと思ってくれたのかしら…どうなんだろう?

「じゃあ行くよ。」
「………うん…」


駅までの道をゆっくりと歩いた。
彼が気を使ってくれてゆっくりと歩いてくれたんだと思う…

他にも駅に向かって浴衣姿の人が何人か歩いてる。

「安奈センパイも来るの?」
「つわりがちょっと辛いから今回は家で大人しくしてるって。」
「そう。」
「お祭り行った事あるの?」
「子供の頃家族で行ったくらいかな。」
「中学とか高校で友達と行かなかったの?」
「メンドイ。」
「今回は面倒じゃないの?」
「うん。」
「どんな心境の変化?」
「リンゴ飴食べたくなったから。」
「リンゴ飴?」
「知らない?リンゴに割り箸が突き刺さってて周りがアメでコーティングされてる。」
「リンゴ飴くらい知ってるわよ。何で急に?」
「さあ。」
「私は何食べようかな。」
「チョコバナナにすれば。」
「なんで?」
「オレが食べたいから。」
「絶対買わない!」


そんな話をしながら電車に乗った。
そう言えば2人で電車なんてあの映画を見た時以来…

今日はちょっと混んでて座れなかったけど…
入口のドアから少し奥に入った所に立ってた。

「そうだ。」
「ん?」
「観たい映画があるんだ。」
「またアクション系?」
「違うわよ!今度は恋愛のお話。って言ってもラブストーリーとは違うけど。
色々な登場人物ずつのお話が1人の主人公に繋がっていくの。」
「じゃあ休みの間に行こう。」
「え?いいの?」
「何でダメなの?」
「だって…そんな内容の映画興味無いかと…」
「だって奈々実さん観たいんでしょう。」
「そうだけど…あなたは無理して観る事無いんだから。」
「メロンソーダとキャラメル味のポップコーン食べれるから行きたい。」
「それ目当…きゃっ!」

電車がガクンと揺れて彼に思わずしがみ付いた。
彼は傍にある吊り革に掴まって片手で私の身体を支えてくれた。

「びっくりした…」
「ちゃんと掴まってないから。」
「だって吊り革じゃ掴まり難いんだもの…だからって周りに掴まる場所ないし。」
「じゃあオレに掴まってて。」
「え?」
「このまま。」
「………あっ!」

私ってば…しっかりと彼の腕の中に納まってて…彼の上着のシャツを両手で握り締めてる。

「ご…ごめ…あ!」

離れようとしたら肩に廻されてる彼の腕にグッと力が篭って引き寄せられた。

「危ないから。」
「………うん…」

そんな返事をしたけど…私はもうまともに彼の顔が見れなかった…

困ったな…このドキドキ…彼に気付かれちゃうかしら…

その前に…私…顔赤くない?大丈夫?

そんな考えが頭の中をぐるぐる廻る…
こんな事…いつも一緒にいるのにどうして気になるんだろう…

たった2駅なのに…その間がとっても長く感じたのは私だけかしら…





Back  Next

  拍手お返事はblogにて…