「静乃さん行きましょうか」
「はい、すみません。今、行きます」
玄関の扉を開けて、史明くんが玄関先で私が出てくるのを待ってる。
私はもう一度戸締まりと火の元を確かめて、靴を履いた。
お互いの気持ちを確かめあってから、史明くんは私の部屋に帰ってくる。
本当は史明くんの部屋で一緒に暮らしたいらしいのだけど、私が引っ越したばかりですぐに引っ越すのは
勿体ないというのと、史明くんの仕事がまた忙しくなってきてて、結局史明くんが帰ってくるまで私ひとりで
待ってることになるから、それなら自分の家にいたほうがいいとの理由でまだ私は自分のアパートで暮らしてる。
ただ、そんな理由で史明くんが納得してるのかと思うと、どうも怪しいと私は思っている。
婚約指輪にしてもかなりの思い込みと気合が入ってたし、思いの外強引なところもあると最近わかってきた。
押し付けるわけではなくてヤンワリと……でも絶対引く気はないらしく、知ってか知らずか最後は打ちのめされた
犬攻撃を仕掛けてくる。
その犬攻撃に私はいつも撃沈されてしまうのだけれど……う〜〜ん、いい加減対処法を考えなければと思う。
「また私を送ったあと、自分の家に寄るの?」
「はい」
階段を下りながら史明くんとそんな話しをする。
史明くんはよっぽどのことがない限り、次の日の着替えを持って私のところにこない。
夜、私のところに帰ってきてお風呂に入って、以前から置いてある部屋着に着替える。
そして次の日の朝は前日のスーツを着て私を送りがてら、自分の部屋に戻って新しいスーツに
着替えて出社するのが日課になってる。
一度何着かスーツを置いておけばと言ったことがあるんだけど “荷物も増えてしまいますし、僕のところで
一緒に生活するという気持ちが遠のいてしまったら困りますから” と言っていた。
確かにそんなに広い部屋ではないので、史明くんの私物が増えると多少手狭になるし、結局必要なモノは
ここには入りきらないしというのがその理由らしい。
あまり史明くんの私物が私の部屋に整うとそれが当たり前になって、史明くんのところより私の部屋で過ごすほうが
過ごしやすくなってしまうのを回避したいというのが史明くんの考えだと私は思ってる。
やっぱり自分の部屋で、一日でも早く一緒に暮らすという目標は諦めていないらしい。
階段を降りて行く途中で、アパートに面した道路に停まる黒塗りの高級車が目に留まる。
それほど広くない道路にいっぱいいっぱいな感じで、駅に向かう通勤の人達がそんな車をよけながら歩いてる。
しかも、通り過ぎるときは何気に車を観察するように横目でチラリと見て行く。
それはこのアパートに住んでる人も同じで、アパートの前から離れるまでジッと車を見てる。
タイミング悪く(?)私と史明くんがその場にいたりすると、窺うような眼差しを向けて足早に去って行く。
ああ……なにか誤解されてる??
確かに怪しすぎかもしれない……。
こんなアパートに住んでる人物が、毎朝黒塗り高級車でご出勤なんて……。
「あ、あの史明くん」
「なんですか」
史明くんはというと、いたって普通。
もう、慣れたもんなんだろうか?
「あの……毎日その……送ってくれなくても大丈夫よ?ほら、私の会社によってから、自宅に戻って出社なんて
史明くんも大変でしょ。私は別に電車で通っても……」
今までそうだったし、帰りは電車だし……って言おうと口を開いたら……。
「静乃さん!」
「は、はいっ!?」
私に向き直った史明くんの両目が、すでにウルウルしてるんですけどーーー!なんで?!
「ふ、史明くん?」
一体どうしたの??
「迷惑ですか!!」
「え″っ!?」
両肩をガッシリと掴まれて、顔を覗き込まれた。
「毎日少しでも一緒にいたいと思って……それに静乃さんの身に何かあったら、僕はどうにかなってしまいます。
本当は帰りも車で送り届けたいと思ってるのですが、静乃さんに断られたのでしつこくするのも嫌われると思って
我慢してるんですけど!ダメですか?朝くらい一緒に通勤しては?それすらも静乃さんには迷惑でしたかっ!?」
またもや、ウルウル攻撃じゃないよーー!!
いやいやいや……ここで負けては。
「えっと……迷惑というか……大変かなーって思って。それにほら、この道路一通だし、道狭いし?
他の人や車の通行の邪魔にならないかな〜〜って……」
「…………」
だからその、縋るような眼差しやめてーーーー!!
また、史明くんの頭にへにゃりとなった犬の耳とダラリと垂れたシッポが見える!!
「史明様、どうかなさいましたか?」
そこに運伝手の森末さんが心配そうな顔で車から降りてきて、私達の方に回ってきた。
「森末さん……」
「はい」
史明くんがガックリと肩を落として、弱々しく話す。
演技?それって演技でしょ?史明くん!
「静乃さんが、もう迎えに来なくてもいいというんです……」
「ええっ!なんですと!それは本当ですか?静乃様!!」
「う″っ!!」
そんな驚かなくても。
それに “静乃様” ってやめてくださいと言ったはずなのに、まったく聞き入れてもらえない。
『史明様の奥様になられる方ですので』 って……“様” ってガラじゃないんですけど。
「毎朝、大変だと思って……」
私は間違ったことは言ってないと思う。
毎日の手間を考えたら、まだ史明くんだけを連れて帰ったほうが時間のロスがないと思うんだけど。
「それに、車が他の人に迷惑だろうって言うんだよ」
最後に “クスン” ってハナ啜るのワザとかしら?史明くん!!
「そうですか……ですがもっと広い道路となりますと、ここから少し離れた場所になってしまいますし、
そこまで歩く時間がそれこそ勿体ないと思います。
それにここは、この時間はあまり車も通りませんし、せいぜい停車してる時間も5分とかかるかどうかですので、
今まで通りわたくしに送らせて頂きませんでしょうか?それとも……そんなにもご迷惑でしょうか?」
──── う″ぅ″っ!!!!!
そう言って、私をジッと見つめる森末さん。
なんで?どうしてそんな森末さんから “クウゥ〜〜〜〜ン” って声が聞こえて、史明くんと同じように
頭にはペッタリと伏せられた耳と悲しそうに垂れるシッポが見えるの??
これまた従順な小型犬のワンコが1匹……。
「そんなに迷惑ですか?静乃さん……」
しかも、その隣には大型犬のワンコが同じように頭の耳をペッタリと伏せて、シュンとしてるシッポが。
ワンコが2匹になった!
「い……いえ……お気遣い……ありがとうございます。これからも宜しくお願します……」
負けた……ワンコ2匹に負けました。
私はボソボソとそんなセリフを言いながら、頭を下げた。
「本当ですか!静乃さん!!迷惑じゃないんですね!」
「はあ……」
頷くしかない私。
「お任せください!静乃様!この森末、お2人が快適に過ごせるような運転を心がけますので!!」
「これからも宜しくお願いしますね、森末さん♪」
「お任せくださいませ、史明様っ!!」
「…………」
すごい……2人とも一気にテンション急上昇。
頭の耳とシッポがこれ以上ナイってくらいパタパタパタパタパタパタパタパタ…………。
私の目の錯覚ではないと思う。
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