想い想われ?



09




あの婚約者様が私に会いに来てから3日後。
やってくれましたよ、お嬢様。

「急で本当に申し訳ないと思ってる」
「はあ……」

就業時間が終わったあと、社長にちょっと話しがあるから帰りに残ってくれと言われ、
今は事務所の片隅にある小さな応接室に社長と2人向かい合ってソファに座ってる。

応接室に入っても社長はしばらく黙ったままで……
一体なんなのかと思ってたら、とんでもなく言いにくそうに口を開いた。

「うちもね……そんなに儲かってるわけじゃなくて……ね。事務所も女の子2人も
必要なかったかなって……思ってね……。
ひとりでも他の人がちょっと気にかけてあげれば、やっていけないわけじゃないし」
「はあ……」

社長が言うには、この不況の中、事務員は2人も要らないというわけらしい。
確かに2人でするには仕事も微妙な量であることはわかっていた。

でも……いくらなんでも急すぎると思うんですけども。

「そんなに厳しいんですか?」
「いや!数ヶ月でどうのってワケでもないんだけれどね……ほら……お得意さんがずっとうちと
やっていってくれるかなんてわからないだろう?どんなキッカケで取引が中止になるかわからないし」
「…………」

なんだか、社長の言わんとすることがわかってしまった。

どうやらわたしがここにお世話になっていると、いつお得意さんからの仕事の依頼がなくなるか
わからないということ?
そんなニュアンスが漂ってた。

「有給残ってるよね?それ最後に使っていいから」
「えっと……明日から来るなってことですか?」
「ちょうど今月の締めが明日だろ?残りは有給を使ってもらって……退職金も払うし、
こっちの都合だから失業手当もすぐにおりると思うんだ……」
「…………」

私は別に責めるつもりなんてなかった。
ただ突然すぎるのと、大手の会社の圧力というものはテレビのドラマなんかで見たことはあったけど
本当に世の中にはあるんだなぁ、ってことだった。

きっと社長も驚いただろうし、苦渋の決断だったんじゃないかと思う。
社員は私だけじゃないし、それぞれみんな生活がかかってる。
もしここで私を取れば、きっとこの会社は潰れてしまうだろう。

「……久遠さん……」
「はい」
「本当に申し訳ない……僕の力が足りないばかりに……」
「そんなことないです。逆にご迷惑をお掛けしてすみませんでした」

私は座ったまま深々と頭を下げた。
最初は事務の人数が……なんて言ってたけど、社長の言葉で違うということがわかってしまった。

「……大丈夫なのかい?って僕が言える立場じゃないけど……あまり深入りしない方がいいんじゃ
ないかな?」
「……大丈夫です。それに少しは貯金もありますし、退職金も出るんでしたらしばらくは失業保険で
生活してもいいし。これからのことはこれからじっくり考えます」
「そうかい?……本当に申し訳ない……」

自分の膝の上で、手をギュッと握り締めながら社長が頭を下げる。

「頭を上げてください。本当にお気になさらないでください。皆さんに挨拶できないのは心残りですけど……。
田舎の父が倒れたとでも言っておいてください。それで急に田舎に帰ることになったって」
「ああ……」
「じゃあ、私物を持って帰りますね。なので事務所に寄っていってもかまいませんか?」
「もちろんだよ。事務の制服はこっちでするから置いていっていいよ」
「はい。じゃあまた帰るとき声かけますので……」

私はそう言うと、電気だけが点いてる誰もいない事務所に入った。

何年勤めたかな?
結構居心地良かったんだけどな……。

事務用品は他の人が使うかもしれないし、次に入って来た人が使うかもしれないから
置いていくことにした。
座布団も置いていこう。
使ってた座布団じゃ嫌かしら?

そう考えながらロッカーも見ると、そんなに持って帰るものはなかった。

帰る前に社長に挨拶をしたけれど、お互い苦笑いになって色々必要な書類は郵送で
やり取りになると思うと言われた。

随分徹底しているな……と思いつつ、きっとかなりキツイことを言われたのかもしれないと、
申し訳ない気持ちで一杯だった。


外に出て、少し離れたところから会社に振り返った。
年季の入った外装にちょっと錆びた看板……短大を出て勤め始めたから何年になるんだろう。
まさかこんなふうに辞めることになるとは思わなかったけれど……。

ただずっと心に思うことは、こんなやり方をなんの躊躇もなくできて、しかも人を軽んじる考えが
当たり前と思える人が、史明くんの結婚相手だということが本当に残念に思えてならなかった。

昨日、偶然にも彼の会社の前で彼とあの婚約者様が一緒にいるところを見てしまった。

と言っても、婚約者様を車までエスコートしてお見送りしてただけなんだけど。
でも……見た目、美男美女でお似合いだなと思った。


史明くんに最初にかかわったのは私だ。

相手がいるかもしれないと思ったのに、あの時だけと彼を欲しがったのは私。

だから人のモノを一時的でも奪ったその代償がこれならば、私は当然のこととして受け止める。

危うく会社にまで迷惑をかけるところだったけど。


「…………」

私は会社に向かって深々とお辞儀をした。

──── 今日までお世話になりました。


「…………さて!帰りに本屋によって求人雑誌でも買って帰ろうかな」


ついでになにか甘いものでも買って帰ろうと、私は駅に向かって歩き出した。








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