そのときは、なんの前触れもなくやってきた。
いつもの風景。
夕食のあと、椎凪とコーヒーを飲んでくつろいでいた。
「もうすぐ、一緒に暮らし始めて半年になるね」
ニコニコしながら、椎凪が話す。
「もうそんなになるの? 暮らし始めたんじゃなくて、下宿し始めたのだろ」
オレはすぐに訂正を入れることを忘れない。
「ねえ、耀くん」
椎凪が改まった言い方をして、オレを呼んだ。
「ん?」
「オレはさ、耀くんのことが好きだよ」
何百回……いや何千回と聞いたセリフ。
「耀くんは、オレのこと好き?」
珍しく、椎凪がオレに答えを求めた。
いつもは一方的に言うだけなのに。
「だっ…だから、いつも言ってるだろ…」
ワザとらしく目を背けて言う。
「友達として…好きだよ…恋人としてじゃ…なくてさ…」
これもいつものセリフ。
このあと、いつもなら椎凪がめげずにまた好きだと言ってくるハズ。
「それはさ、永遠に恋人になることはないの?」
「え?」
初めて、そんなこと聞かれた。
「ずっと、友達のまま?」
椎凪は静かにオレに聞き返した。
眼差しも、いつも以上に優しく感じる。
「そ…そうだよ。オレ、誰とも付き合わないもん。そう決めてるんだ」
いつもと違う沈黙が流れる。
なんだか変な雰囲気だった。
「そっか…」
椎凪が寂しそうに微笑みながら、優しく言った。
どうしたんだろ?
椎凪がいつもと違って見えた気がした。
次の日の朝、たしかに変だった。
オレを起こしにきた椎凪が、普通にオレを起こしたからだ。
オレもすぐ起きたからかもしれないけど。
玄関まで椎凪が見送ってくれる。
いつもと同じ光景……のはずだった。
「じゃあ、行ってきます」
「うん。 あっ! 耀くん」
「ん?」
「オレ、今日出て行くから。ちょうど休みだしさ、急でゴメンネ。でも……そう決めたから」
「えっ?! 出て…行く?」
今…椎凪はなんて言った…の?
「今日……出て行く」
「えっ? うそっ!? どうして? なんで急にそんなっ…」
ワケがわからず、とっさに椎凪の両腕を掴んでた。
だって、昨夜だってそんなこと一言も……態度だって普通だったじゃん。
オレの心臓がドキドキいい始めた。
なに? なにが起こってるの?
「オレは……耀くんとは友達になれないから」
そう言ってオレが掴んだ手を、椎凪が優しく外していく。
「……え?」
「オレは耀くんと恋人同士になりたいんだ。でも耀くんは違う。恋人には絶対ならないって」
寂しそうに目を伏せて、椎凪が続ける。
「だったらオレ、無理だから。友達じゃ我慢できない。だから……一緒にいれない。
このままいたら、きっと耀くんを傷つけるから。だから……出てく」
身動きもできないまま、じっと椎凪の話を聞いていた。
「耀くんとも、もう会わない」
「え? な…なんで?」
身体が震える。
心臓がさっきよりドキドキいってる。
いつの間にかギュっと手を強く握りしめていた。
なに…言ってる…の?
椎凪…オレ…わかんない…わかんないよっ!!
「これから先、オレは友達のフリはできないから。何事もなかったみたいにはいられない」
椎凪の言葉が、聞きたくないのに勝手に頭に入ってくる。
「だから…もう…会わないほうがいいんだ」
なんて言ってるのか……わからないよっ! 椎凪!!
「本当に急でごめん。でも早いほうがいいと思って。耀くんが帰って来るまでには出とくから。
もう会うことないと思うけど、今までありがとう。耀くん、元気でね…」
椎凪が辛そうな顔で、それでも無理して……ニッコリと笑って言った。
「…………」
どうやって玄関から出たのかも憶えていない。
どうやって大学まで歩いて行ったのかも憶えてない。
一体なにがあったの。
椎凪が出て行くって言った?
そう…オレとも……もう会わないって言った。
どうして……どうしてそんな……。
オレの傍にいるって……ずっと一緒にいるって言ってたのに……どうして……?
はっ! あ…オレ…なに言って…。
オレが椎凪を拒絶してたくせに。
ずっと好きじゃないって言ってたのオレなのに……。
椎凪が出て行くって、オレと一緒にいれないって当たり前なのに。
オレ、なに言ってるんだろ。
椎凪はずっと、オレの傍にいるって思い込んでたから。
椎凪の気持ちが本気だって……わかってたのに……。
オレはそんな椎凪の気持ちを……あてにして、甘えてたんだ。
オレは泣きたいくらい辛かったのに……なぜか涙が出てこなかった。
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